2009年06月20日

多細胞生物においては、個々の細胞は独立して

多細胞生物においては、個々の細胞は独立して存在しているのではなく、細胞同士が付着、あるいは細胞が細胞外マトリックスに付着している。細胞同士の結合、および細胞の細胞外マトリックスへの結合を細胞接着cell adhesionという。前者を細胞接着(さいぼうせっちゃく、細胞間接着 cell-to-cell adhesion)、後者を細胞-マトリックス接着 cell-matrix adhesionと呼んで、前者のみを狭義の細胞接着ということもある。

細胞接着の基本は、細胞同士あるいは細胞とマトリックスが直接接触して付着しているということであるが、細胞は接着のために細胞骨格を動員した細胞接着のための装置を持つこともある。細胞接着は、細胞接着分子の分子間相互作用によって担われ、接着装置も接着分子を中心に形成される。細胞接着の様相は、細胞や組織の種類によって多様である。上皮では、一般に上皮細胞同士が強い接着を行い、アドヘレンス・ジャンクション、タイトジャンクション、デスモソームといった特殊化した接着構造
テニス
セキュリティ
花火
仏教絵画
東北地方
壁画
日用品
セパタクロー
印刷
水球
アスペルガー症候群
学習塾
ベリーダンス
北陸地方
水彩画
恐竜
水墨画
両生類
ジオキャッシング
アニマルセラピー


を形成する一方、細胞外マトリックスである基底膜に接着しヘミデスモソームを形成している。結合組織などの間質細胞は、細胞周辺の細胞外マトリックス(コラーゲン繊維など)に接着している。血液細胞のように、浮遊性でふだんは細胞接着しているようには見えない細胞でも、細胞分化や機能発現時には、ある種の組織への接着をする。免疫細胞では細胞の組織分配や機能発現に接着を介した細胞認識が重要である。神経細胞においては、神経細胞の移動、更に神経細胞から伸長した軸索誘導やシナプス形成の段階でも細胞接着を中心にした制御が不可欠である。

なお、培養皿の上で線維芽細胞などを培養すると、細胞はフィブロネクチンやヴィトロネクチンなどを介して皿上に伸展する。この現象は、細胞基質接着(cell-substratum adhesion)と呼ばれる細胞-マトリックス接着の一種である。この際、細胞の下部には、接着斑と呼ばれる構造ができる。

2009年06月02日

ロシア軍の後退戦術と日本陸軍の決戦主義(3月6日~8日)

ロシア軍は奉天前面を攻撃する日本軍の第二軍、第四軍、第一軍に対して反撃して損害を与え続け、自軍も損耗しつつも、3月6日になって奉天前面から徐々に計画的に後退を始めた。これはロシア軍正面を中央より第三軍のほうへ移す処置であった。このため、ロシア軍側面を攻撃していたはずの第三軍及び秋山支隊は敵正面に対することになってしまい、苦戦を強いられた。他の前線でもロシア軍が随時反撃を加え、日本軍の被害は徐々に増大していった。

もしクロパトキンがこの時期に総反撃を命じたら、満足な予備軍さえ持っていなかった日本軍が崩壊するという危機的状況にあった。しかし日本軍の首脳部はあくまで全線での総力戦を指令し続け、ロシア軍の強固な防衛線を前に日本兵は文字通り死体の山を築いた。そうした状況が数日続くにおよび、遂には銃を捨てて逃走する日本兵の姿すら見られる状況に至り(大石橋の惨戦)、満州の日本軍は絶体絶命の状況にあった。

児玉源太郎満州軍参謀長はついに作戦全体の方針転換を決め、腹心である松川敏胤大佐と図って、第四軍と第二軍に奉天への前進を指令した。

3月9日、ロシア軍の総帥クロパトキンは、突如、奉天が包囲されることを避けるため鉄嶺・哈爾浜方面への転進を指令した。これは日本軍が全く予期しなかった出来事であった。奉天のロシア兵はまだ余力のある状態で、総撤退を開始したのである。ここまでの戦いで大きな損害を受けていた日本軍は3月10日、無人になった奉天に雪崩れ込んだ。第四軍はロシア軍を追撃し、2個師団に打撃を与えた。なお、この日は翌年に陸軍記念日と定められている。日本側の死傷者は7万であった。
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ロシア軍の損害もまた大きく(ロシア側の死傷者9万)、回復には秋頃までかかる状況であった。しかし、ロシア軍が受けた最も大きな損害は士気だったと言われる。鉄嶺までの暫時退却であったはずだが、その過程で軍隊秩序は失せ、略奪、上官への背命など、軍隊としての体をなさないまでに崩れたという。そのためクロパトキンは鉄嶺も捨てて、北へさらに退いた。すぐに日本軍が鉄嶺を占領している。哈爾浜に逃れたクロパトキンは罷免された。

会戦後は日本軍の能力は格段に落ちており、鉄嶺まで占領して補給線が伸びきってしまった日本軍としては、この辺が攻勢の限界であった。これは物資だけでなく人的補充という意味でも同じで、最後まで惨戦を繰り返した第三軍は損耗率が4割から6割近くあったにもかかわらず[4]、その補充の予定すら立たない状況であった。特に第一線の将校、すなわち少尉から大尉程度の、前線指揮を執り兵の先頭を進む下級将校の欠乏は目を覆わんばかりで、開戦当初に配属されていた士官学校出身の現役将校はこれまでの会戦や旅順攻囲戦などによって大量に損耗していた。このため、大部分の将校が速成教育しか受けていない者や予備役から召集された者ばかりになり、前線での指揮も満足に取れない者が多く、またたった一日の行軍で体力を消耗してしまうような老齢の者も多く存在するような状態になっていた。これは奉天会戦開始前の鴨緑江軍所属の後備第1師団においてすでに顕著であり、同軍は奉天会戦後期にはほとんど活動できないまでになっていた。

2009年04月30日

農業では考古学の成果

農業では考古学の成果より渤海全域での鉄器の使用、牛耕の利用が確認されている。これらの農器具を利用し、渤海では五穀と称される麻、黍(もちきび)、稷(きび)、麦、菽が広く栽培されていた。これ以外に忽汗水流域の荏(えごま)、盧城の稲、丸都の李、楽游の梨など各地で特徴ある作物が栽培されていたことが知られている。また前後時代の記録を見ると葵菜の栽培や、渤海の使節が来日した際に渤海人の好む大韮を用意した記録からも、様々な野菜が栽培されていたことを窺い知る事が出来る。

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渤海では馬の飼育が重視されていた。これは軍事的な需要の他、駅站交通や貿易需要からもかなりの数が生産されていたことが知られている。また豚、牛、羊などの飼育も盛んであり、それらは渤海人の墳墓の中からそれらの骨が発掘されることからも十分に窺える。

唐への朝貢記録には鷹、鶻が進貢されており、特に海東青は鷹狩りの珍品とされ、貴重な貢者として唐へ献上されていた。他にも太白山(現在の長白山)の兎や扶余の鹿などは特産品として『新唐書』に記録されている。また日本との関係で重要な地位をしめたものが貂である。日本の貴族間で珍重された貂皮は当時の日本における最先端ファッションとして受け入れられていた。

発掘例は未だ確認されていないが、商品経済が発展していく中で渤海では貨幣が使用されていたと考えられている。それは大武芸が日本に送った国書の中で「皮幣」の文字を使用していること、873年に日本で貿易を行った際に、賜銭を得て日本の物産を購入していること、滅亡に際して耶律阿保機が「獲る所の器、幣」を将士に分け与えたことからも物々交換の段階を超え、貨幣が流通していた事を示すものと考えられている。

2009年04月15日

軻比能の登場

軻比能はもともと鮮卑の中でも勢力のない種族の出身であったが、勇敢で裁きが公平であり、財物を貪ることがなかったため、人々は彼を推して大人に戴いた。建安年間、軻比能は閻柔(えんじゅう)を通じて、献げ物を奉った。漢の丞相曹操が西方に軍を動かし、関中を征すると、田銀が河間で叛旗を翻した。軻比能は三千余騎をひきつれ閻柔に従って田銀を攻め、これを打ち破った。のちに代郡の烏丸が反乱をおこすと、軻比能は今度は烏丸と力を合せて侵攻し、漢に損害を与えた。曹操は、鄢陵侯(えんりょうこう)の曹彰を驍騎将軍に任じて北に攻め込ませ、曹彰は軻比能を手ひどく打ち破った。軻比能は逃げて長城の外に出たが、のちにはまた使者を送り、献げ物をするようになった。

延康の初め(220年)、軻比能は使者を送って馬を献上し、文帝のほうでも軻比能に附義王の位を授けた。

黄初二年(221年)、軻比能は魏の者で鮮卑の中に逃げてきている者たち五百余家を送り返して、代郡に移住させた。次の年、軻比能はその部族の大人や配下の者たち、代郡の烏丸の修武盧(しゅうぶろ)など三千余騎をひきつれ、牛や馬七万余頭を駆ってやってくると、魏との間に市場をひらいて交易をおこなった。また、魏の者千余家を送り返して上谷に移住させた。そののち、東部鮮卑の素利や歩度根の配下の三部族が軻比能と争いを起こし、互いに攻撃をかけあった。護鮮卑校尉の田予が調停をして、互いに侵伐することをやめさせた。

黄初五年(224年)、軻比能がふたたび素利に攻撃をかけると、田予は軽装備の騎兵を率いて駆けつけ、背後から牽制した。軻比能は小さな部隊を選んでその隊長の瑣奴(さど)に田予の攻撃を防がせたが、田予は積極的に攻撃をかけて、瑣奴を敗走させた。このことがあって、軻比能は魏を信頼しなくなったが、輔国将軍の鮮于輔(せんうほ)のとりなしで両者は友好関係を結んだ。軻比能はさらに勢力をまし、部下からの信用も厚くなったが、かつての檀石槐には及ばなかった。

太和二年(228年)、田予は通訳の夏舎を軻比能の娘婿の鬱築鞬(うつちくけん)の部族のもとに行かせたが、夏舎は鬱築鞬に殺された。その秋、田予は西部鮮卑の蒲頭と泄帰泥を率い長城を出て鬱築鞬を討ち、これをひどくうち破った。その帰還の途上、馬城まで来たとき、軻比能がみずから三万騎を率いて田予の軍を包囲し、その包囲は7日におよんだ。上谷太守の閻志は、閻柔の弟で、もともと鮮卑たちの信頼を受けていた。その閻志が行って諭したため、軻比能はすぐさま包囲を解いて引き揚げた。そののち、幽州刺史の王雄は、校尉の任を兼ね、恩賞と信義とでもって鮮卑たちをなつかせた。軻比能も、しばしば長城に入り、幽州の役所にやってきて献上物をささげた。

青龍元年(233年)になると、軻比能は歩度根に誘いをかけて、幷州の支配から抜け出させ、和親の約束を結ぶと、自ら一万騎を率いてその妻子眷族を陘北(けいほく)まで迎えに出た。幷州刺史の畢軌(ひつき)は、将軍の蘇尚・董弼(とうひつ)らを送ってこれに攻撃をかけさせた。軻比能は自分の息子に騎兵をひきつれさせて派遣し、蘇尚らと楼煩(ろうはん)において会戦し、その戦闘中に蘇尚と董弼を殺害した。三年(235年)になって、王雄は、勇猛の士の韓龍を送って軻比能を刺殺させると、代わってその弟を立てた。

その他の大人 [編集]
素利・弥加・厥機はそれぞれに大人であったが、遼西・右北平・漁陽などの郡の長城の外にいて、遠く離れていたために国境地帯に損害を及ぼすことは絶えてなかった。しかしその部族民の数は軻比能よりも多かった。建安年間、彼らは閻柔を通じて献げ物をたてまつって、漢との交易を求めてきた。曹操は彼らをそれぞれに表彰し手厚く待遇して、王の位を授けた。厥機が死ぬと、代わってその子の沙末汗を立てて親漢王の位を授けた。延康初年(220年)、彼らはまたそれぞれに使者を送って馬を献上してきた。文帝は、素利と弥加とを立てて帰義王の位を授けた。素利は、軻比能と戦いを交えた。太和二年(228年)、素利が死んだ。息子が幼かったので、弟の成律帰を王に立て、代わってその配下の統御にあたらせた。

習俗 [編集]
名称 [編集]
「鮮卑」という名称は、中国側の音訳であるが、その原音が何であったかは、彼らが文字を持たなかったため不明である。王沈の『魏書』などでは「鮮卑・烏桓なる族名は、山の名前より付いた」と記されている。『漢書』匈奴伝顔師古の註において、「犀毗(せいび、さいひ)とは胡の帯鈎なり、また鮮卑、師比ともいう」とあり、東洋史学者の白鳥庫吉などは、古代トルコ・モンゴル語で帯鈎をいうsärbi、満州語で異人をいうsabiが「鮮卑」の語源であるとし、逆に鮮卑山という山名は鮮卑(särbi/sabi)族が根拠地としたために鮮卑山と呼ばれるようになったと主張した(非山名説)。

歴代君主・王朝 [編集]
偏何(光武帝の時代)…鮮卑都護<『後漢書』鮮卑伝>
於仇賁&満頭(光武帝の時代)…54年に朝貢。それぞれ王と侯に封じられる。
廆(和帝の時代)…鮮卑の大都護の校尉。率衆王に封じられる。
燕茘陽(安帝の時代)…入朝し、鮮卑王に封じられる。
丘倫(安帝の時代)…永初三年(109年)、烏桓率衆王無何・南匈奴骨都侯らとともに反乱<『後漢書』鮮卑伝>
連休(安帝の時代)…元初四年(117年)、遼西で反乱を起こすが、漢と烏桓の於秩居に大敗する。<『後漢書』鮮卑伝>
烏倫&其至鞬(安帝から順帝の時代)…それぞれ王と侯に封じられるが、反乱を起こす。

壇石槐鮮卑 [編集]
檀石槐(155?年 - 181年?)
和連(181年? - 189年?)…檀石槐の子
魁頭(?年 - ?年)…和連の甥
鶱曼(?年 - ?年)…和連の子
歩度根(?年 - 234年?)…魁頭の弟。220年鮮卑王に封じられる。
扶羅韓(?年 - 218年殺)…魁頭の弟、歩度根の次兄。
泄帰泥(218年 - ?年)…扶羅韓の子。帰義王に封じられる。

軻比能鮮卑 [編集]
軻比能(?年 - 235年殺)…220年附義王に封じられる。
軻比能の弟(235年 - ?年)…苴羅侯とは別

東部鮮卑 [編集]
槐頭
素利鮮卑

素利(?年 - 228年)…220年帰義王に封じられる。
成律帰(228年 - ?年)…素利の弟
厥機鮮卑

厥機(?年 - ?年)
沙末汗(?年 - ?年)…厥機の子。親漢王に封じられる。
彌加鮮卑

彌加(?年 - ?年)…220年帰義王に封じられる。

中部鮮卑 [編集]
柯最
闕居
慕容

西部鮮卑 [編集]
置鞬落羅
日律推演
宴茘游
蒲頭(附頭)(?年 - ?年)

慕容部鮮卑 [編集]
莫護跋…慕容部の始祖、率義王を拝命される
慕容木延…莫護跋の子、左賢王を拝命される
慕容渉帰(? - 283年)…木延の子、鮮卑単于を拝命される
慕容耐(刪)(283年 - 285年殺)…渉帰の弟
慕容廆(285年 - 333年)…渉帰の次男嫡子

前燕  [編集]
高祖宣武帝(廆)
太祖文明帝(皝)(燕王337年 - 348年)…慕容廆の三男
烈祖景昭帝(儁)(燕王348年 - 352年、皇帝352年 - 360年)…慕容皝の次男
幽帝(暐)(360年 - 370年)…慕容儁の三男

後燕 [編集]
世祖成武帝(垂)(燕王384年 - 386年、皇帝386年 - 396年)…慕容皝の五男
烈宗恵愍帝(宝)(396年 - 398年)…慕容垂の四男
中宗昭武帝(盛)(398年 - 401年)…慕容宝の長男
昭文帝(熙)(401年 - 407年)…慕容垂の末子

西燕 [編集]
済北王(慕容泓)(384年)…慕容暐の弟
威帝(慕容沖)(384年 - 386年)…慕容泓の弟
燕王(段随)(386年)…慕容沖の配下
燕王(慕容凱)(386年)…宜都王(慕容桓)の子
燕帝(慕容望)(386年)…慕容沖の子
燕帝(慕容忠)(386年)…慕容泓の子
河東王(慕容永)(386年 - 394年)…慕容運の孫

南燕 [編集]
世宗献武帝(徳)(燕王:398年 - 400年、皇帝:400年 - 405年)…慕容皝の末子
慕容超(405年 - 410年)…慕容徳の甥

吐谷渾 [編集]
慕容渉帰
吐谷渾(285年? - 317年)…慕容渉帰の庶長子
吐延(317年 - 329年)…吐谷渾の長子
葉延(329年 - 351年)…吐延の長子
辟奚(砕爰)(351年 - 375年)…葉延の長子
視連(375年? - 390年)…辟奚の子
視罷(390年 - 400年)…視連の長子
烏紇提(大孩)(400年 - 405年)…視連の次男
樹洛幹(405年 - 417年)…視罷の長子
阿豺(417年 - 426年)…視罷の次男
慕璝(426年 - 436年)…烏紇提の長子
慕利延(436年 - 452年)…烏紇提の次男
拾寅(拾虔)(452年 - 481年)…樹洛幹の子
度易侯(481年 - 490年)…拾寅の子
伏連籌(490年 - 529年)…度易侯の子
誇呂(呂誇)(535年? - 591年)…伏連籌の子
世伏(591年 - 597年殺)…誇呂の子
伏允(597年 - 635年)…世伏の弟
越胡呂烏甘豆可汗(順)(635年 - 636年)…伏允の子
地也抜勒豆可汗(諾曷缽)(636年 - 666年)…順の子
<唐へ亡命(青海国)>

地也抜勒豆可汗(諾曷缽)(666年 - ?)
忠(? - ?)…諾曷缽の子
地也抜勒豆可汗(宣超)(700年 - ?)…忠の子
曦皓(? - ?)…宣超の子
兆(? - ?年)…曦皓の子
複(798年 - ?)

宇文部鮮卑(匈奴系) [編集]
葛烏菟(?年 - ?年)
普回(?年 - ?年)
莫那(?年 - ?年)…普回の子
~数代略~

莫槐(?年 - 293年)
普撥(293年 - ?年)…莫槐の弟
丘不勤(?年 - ?年)…普撥の子
莫圭(莫廆、莫珪)(?年 - ?年)…丘不勤の子
遜昵延(悉獨官)(?年 - ?年)…莫圭の子
乞得亀(?年 - 333年)…遜昵延の子
逸豆帰(侯豆帰)(333年 - 344年)
陵…逸豆帰の子
系…陵の子
韜…系の子
肱…韜の子

北周 [編集]
徳帝(宇文肱)…宇文韜の子
太祖文帝(宇文泰)…宇文肱の子
孝閔帝(宇文覚)(556年 - 557年) …宇文泰の三男
世宗明帝(宇文毓)(557年 - 560年) …宇文泰の長男
高祖武帝(宇文邕)(560年 - 578年) …宇文泰の四男
宣帝(宇文贇)(578年 - 580年) …武帝の子
静帝(宇文衍)(580年 - 581年)…宣帝の子

段部鮮卑 [編集]
日陸眷(?年 - ?年)
乞珍(?年 - ?年)…日陸眷の弟
務勿塵(務目塵)(?年 - ?年)…乞珍の子。303年、遼西公に封じられ、大単于を拝命。
疾陸眷(就六眷)(?年 - 318年)…務勿塵の子
涉複辰(318年殺)…務勿塵の弟
匹磾(318年 - 321年)…疾陸眷の弟
末波(末杯)(318年 - 325年)…疾陸眷の従弟
牙(325年 - ?年)…末波の弟
護遼(?年 - 338年殺)…日陸眷の弟?/就陸眷の孫?。331年、驃騎将軍となる。
郁蘭(338年 - ?年)…護遼の弟
龕(?年 - 357年殺)…郁蘭の子
勤(?年 - 359年)…末波の子。趙王を称す。

拓跋部鮮卑 [編集]
成帝(拓跋毛)(? - ?)
節帝(拓跋貸)(? - ?)
莊帝(拓跋観)(? - ?)
明帝(拓跋楼)(? - ?)
安帝(拓跋越)(? - ?)
宣帝(拓跋推寅)(? - ?)…大澤に南遷する。
景帝(拓跋利)(? - ?)
元帝(拓跋俟)(? - ?)
和帝(拓跋肆)(? - ?)
定帝(拓跋機)(? - ?)
僖帝(拓跋蓋)(? - ?)
威帝(拓跋儈)(? - ?)
献帝(拓跋鄰)(? - ?)
聖武帝(拓跋詰汾)(? - ?)…南遷する
始祖神元帝(拓跋力微)(220年 – 277年)…詰汾の子
文帝(拓跋沙漠汗)…力微の子、大人にはなっていない。
章帝(拓跋悉鹿)(278年 – 286年)…力微の子
平帝(拓跋綽)(287年 - 293年)…力微の子、悉鹿の弟
思帝(拓跋弗)(294年)…沙漠汗の少子
<三分統治>

昭帝(拓跋禄官)(295年 – 307年)…力微の子
桓帝(拓跋猗厓 )(295年 – 305年)…沙漠汗の長男
穆帝(拓跋猗盧)(295年 - 307年)…沙漠汗の次男

代 [編集]
<再統一>

穆帝(拓跋猗盧)(308年 - 316年)…315年代王となる
文平帝(拓跋普根)(316年)…猗厓の子
哀帝(名称不明)(316年)…普根の子
太祖平文帝(拓跋郁律)(317年 - 321年)…弗の子
恵帝(拓跋賀傉)(321年 - 325年)…猗厓の中子
煬帝(拓跋紇那)(325年 - 329年)…猗厓の少子
烈帝(拓跋翳槐)(329年 - 335年)…郁律の長男
煬帝(拓跋紇那)(335年 - 337年)復位
烈帝(拓跋翳槐)(337年 - 338年)復位
高祖昭成帝(拓跋什翼犍)(338年 - 376年)…郁律の次男

北魏 [編集]
太祖道武帝(拓跋珪)(398年 - 409年)…献明帝(拓跋寔)の子
太宗明元帝(拓跋嗣)(409年 - 423年)
世祖太武帝(拓跋燾)(423年 - 452年)
隠宗敬寿帝(拓跋余)(452年)
高宗文成帝(拓跋濬)(452年 - 465年)
顕祖献文帝(拓跋弘)(465年 - 471年)
高祖孝文帝(元宏)(471年 - 499年)
世祖宣武帝(元恪)(499年 - 515年)
粛宗孝明帝(元詡)(515年 - 528年)
敬宗孝荘帝(元子攸)(528年 - 530年)
廃帝曄(元曄)(530年 - 531年)
節閔帝(元恭)(531年)
順文帝(元朗)(531年 - 532年)
孝武帝(元修)(532年 - 534年)

西魏 [編集]
文帝(元宝炬)(535年 - 551年)
廃帝(元欽)(551年 - 554年)
恭帝(元廓)(554年 - 556年)

東魏 [編集]
孝静帝(元善見)(534年 - 550年)

禿髪部鮮卑 [編集]
拓跋匹孤(? - ?)
禿髪寿闐(? - ?)…匹孤の子
禿髪樹機能(? - ?)…寿闐の孫
禿髪務丸(? - ?)…樹機能の従弟
禿髪推斤(? - ?)…務丸の孫
禿髪思複鞬(? - ?)…推斤の子
禿髪烏孤(? - 397年)…思複鞬の子

南涼 [編集]
烈祖武王(禿髪烏孤)(397年 - 399年)
康王(禿髪利鹿孤)(399年 - 402年)…烏孤の弟
景王(禿髪傉檀)(402年 - 414年)…利鹿孤の弟

乞伏部鮮卑 [編集]
紇幹(? - ?)
乞伏可汗托鐸莫何(? - ?)
祐鄰(? - ?)
結権(? - ?)…祐鄰の子
利那(? - ?)…結権の子
祁埿(? - ?)…利那の弟
述延(? - ?)…利那の子
傉大寒(? - ?)…述延の子
司繁(? - ?)…傉大寒の子
国仁(? - 385年)…司繁の子

西秦 [編集]
烈祖宣烈王(国仁)(385年 - 388年)
高祖武元王(乾帰)(388年 - 400年、410年 - 412年)…国仁の弟
太祖文昭王(熾磐)(412年 - 428年)…乾帰の長子
後主(慕末)(428年 - 431年)…熾磐の次子

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2009年03月31日

境川浪右衛門

境川 浪右衛門(さかいがわ なみえもん、天保12年4月8日(1841年5月28日) - 明治20年(1887年)9月16日)は、慶応期から明治期にかけての相撲力士。第14代横綱。身長169cmで記録の残る横綱の中では4番目の小兵力士。体重128kg。

下総国葛飾郡(現・千葉県市川市)出身。本名は宇田川政吉、のちに市川政吉から市川浪右衛門。13歳の頃、酒問屋に奉公に出て四斗樽を軽々と運ぶところを主人に見込まれ、紹介により境川部屋に入門。安政4年(1857年)11月場所初土俵。慶応3年(1867年)4月場所新入幕。明治2年(1869年)11月場所後大関に昇進。四股名をそれまでの増位山(ますいざん)から境川に変え、姫路藩抱えから尾張藩抱えに変わった。明治9年(1876年)2月、五条家より横綱が免許され、明治10年(1877年)2月に吉田司家も承認した。明治14年(1881年)1月場所限りで引退。年寄境川を襲名した。しかし余生は短く、46歳の若さで没した。
イタ飯 タップ ナビトーチ レザー ひなづる メンド オラト 若き獅子 スイセン お山 シャシー フェタミン ブルージー ハリファ シンガ マニュ チリ バカンス スタバ ピアプ プラス シュード チェス シャトル ブレン プライス ビング 風神雷神 パライパ リンプ フォッ サラバード トシン バンド チロル もうげつ ラザニ ルサロ もみがら プルーフ アップ セクター ハーベ ローション インター ザクロ ブロカ ジェラー モルダビア ファー

人物 [編集]
小兵にもかかわらず、太鼓腹で怪力であった。太鼓腹に相手を乗せての櫓投げを得意としていた。相手に十分に相撲を取らせてから勝ちに出るという相撲のため、勝率は高いが引き分けも多く、歴代横綱の中で引分率が最も高い。ただしそのため相手力士からは好感を持たれ、面倒見のよさもあり人望を集めた。本所一ツ目に居所を構えたところから「一ツ目の大名大関」と呼ばれていた。明治の谷風といわれのちに相撲長も務めている。

横綱の鬼面山との成績は2勝1敗3分だったが、梅ヶ谷とは5敗1分2預と苦手だった。

家庭的には不幸であった。婿入りして娶った師匠の娘は浪費や不貞を重ねる悪妻で、見るに見かねた弟子が、妻の浮気相手を殴って川に放り込み死亡させるという事件まで発生している。

晩年は茶の湯や俳諧に親しんだが、早世したのは相撲会所での意見の相違や家庭問題での心労が祟ったから、といわれている。

幕内通算成績 [編集]
28場所118勝23敗71分5預63休、勝率.837。優勝相当成績5回。

2009年03月16日

石見銀山

石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)であり、大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれた。

鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、同市仁摩町や温泉津町にも広がっていた。日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に国によって史跡に指定。2007年(平成19年)6月28日にニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた世界遺産委員会でユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まり、7月2日に正式登録された。一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されている[1](後述の「登録までの経緯」の節参照)。2007年には日本の地質百選にも選定されている。

初期には仙ノ山山頂付近から自然銀に富む福石(ふくいし)が主に産出し、開発が進行するにつれ地下深くなり、銀を多く含む黄銅鉱、黄鉄鉱、方鉛鉱などの永久鉱床(えいきゅうこうしょう)の採掘に移行していった。
ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

石見銀山の発見について『石見銀山旧記』は鎌倉時代末期の延慶2年(1309年)に周防の大内弘幸が石見に来訪して北斗妙見大菩薩のお告げにより銀を発見したという伝説について記しており、この頃からある程度の採掘がなされていたものと考えられているが、今日、石見銀山を本格的に開発したのは博多の商人・神谷寿貞(姓については神屋、名については寿禎・寿亭とも表記される)であるとされている[2]。海上から山が光るのを見た神谷は領主大内義興の支援と出雲国田儀村の銅山主・三島清右衛門の協力を得て1526年(大永6年)3月、銀峯山の中腹で地下の銀を掘り出した。義興の死後、大内義隆が九州経営に気を取られている間、1530年(享禄3年)に地方領主・小笠原長隆が銀山を奪い、3年後に大内氏が奪回した。大内氏は山吹城を構えて銀山守護の拠点とした。1533年(天文2年)8月、神谷寿貞は博多から宗丹と桂寿を招き海外渡来の銀精錬技術である灰吹法[3]に日本で初めて成功した[4]。この技術でより効率的に銀を得られるようになり、全国の鉱山に伝えられ、日本における銀産出に大きな貢献をすることになる。灰吹法確立以前は、鞆ヶ浦(仁摩町馬路)・沖泊(温泉津町)から鉱石のまま積み出され取引された。

2009年03月01日

カルドゥルス

カルドゥルス
イザンティムル
コルクト・イザムテレ
ユクラントミュル

ゲディンガー・クロク人
タホンカ=ノ

サイノス
シュミット
タンファクト・アウベルヒェレ 
ノストラダムス

テラナー
オラーナ・セストレ
サンダル=トーク
エクソタ・アルファの領主で、フルネームはサンダル・トーク・アサン・フェイモア・サク・サンダル・クレーター。故郷を大群のパープル人に侵略され、復讐を誓う。第256巻。
ホルトガン・ロガ

ミュータント
イルミナ・コチストワ
分子変形能力者。

その他
シェF

旧ミュータントサイクル

アスポルコス
ヘイドラク=コート
アスポルコスの科学者。母星に着陸した宇宙船(テラのエクスプローラー船)の中を調査中、同僚が誤って設備を操作したため船が発進し、テラに到達した。彼は“苦悶の声”に乗っ取られており、テラで大混乱を引き起こした。

テラナー
ノスラ・スピッツァー
戦艦〈モストノフ〉艦長。
ボウント・テルヘラ
太陽系艦隊元帥、第43内郭セクター艦隊司令。3352年生まれ。3444年8月の大執政官選挙に立候補した。手段を選ばず当選しようとしてローダンの暗殺計画を練るなどしたが、結局落選した。
ムニショ・アース
ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ

ハルト人
トンドル・ケルラク

レムール人
ヴァウフ・オナクロ

宇宙のチェスサイクル

デュイント人
トラシュティン
 ヘルタモシュの側近で軍人。戦いで脳死状態になったため、ローダンの脳が移植される。
ヘルタモシュ
 次期レイチャ。ローダン=ハクチュイテンを保護し、親友となる。

テラナー
ゴシュモ=カン
コル・ミモ
本名マルコル・デ=ラパル。ゼロ時間デフォルメーターを使ってタイム・パラドックスを起こし、PAD病を防ぐ。その後ローダンの脳を取り出してナウパウム銀河に転送させる。

ハルト人
テレンギ=サン

ペトラクツ人
ガイト=コール

ペルトゥス
フルロック

ヤアンツトロン人
ゼノ
 アッカローリーの脳を持つヤアンツトロン人。 
チャトロ
 ナウパウム・レイチャト帝国のレイチャ(首席)。
ドインシュト
 脳移植医。脳マーケットでローダンの脳を発見し、大猿型の従者種族ボルティンの体に移植する。
ハクチュイテン
 サイナック脳密売人。ドインシュトによってローダンの脳を移植される。

ユーロク
トリトレーア
 サイナック・ハンター。ローダンを捕らえるため追跡するが、ローダンが犯罪の犠牲者であることを知り同情する。
ノク
 サイナック・ハンター、反体制組織のリーダー。

その他
オントイド
カリブソ

公会議サイクル

スプリンガー
レティクロン

テラナー
イーゲル・ホシュトラ
ロナルド・テケナー
USOスペシャリスト、初登場時の階級は大佐。2373年生まれで、36歳の時に細胞活性装置を発見、装着した。顔に“ラサト疱瘡”の跡が残る。危機に陥ると微笑む癖があり、スマイラーと呼ばれる。無類のギャンブル好きでもある。第340巻。

プロヴコナー
ロクティン・パル
反ヘトス抵抗グループのリーダー。

ラール人
ホトレノル・タアク

2009年02月10日

日本の主な民話・昔話

桃太郎、金太郎、浦島太郎、花さかじいさん、さるかに合戦、一寸法師、舌切り雀、鶴の恩返し、かさじぞう、おむすびころりん、うりこひめとあまのじゃく
怖い話・怪談の中には、講談、芝居など様々な文学ジャンルで採り上げられているものがある。
どんどん橋 バンケット ドラント カステラ セルフ ターン トーチカ ピアサポタ リーバス クロラール キッチ かほく ビジター スピカ 大地の景色 モンゴル 真昼の月日 ドス上位 オーバリ マグネ クロマト モンタント やんぐこ セレス カウハイド ハナショ たそがれ フカロッ ヒノキ ベット カリス マニキ こちんだ バイサイド ラフ アウト タイガー キュラ やまびこ ブーム 大冒険 スケット トランス ハーレム クライ ジンマカオ バック ロスマリン キレイ モアイ

百物語、皿屋敷(播州皿屋敷、番町皿屋敷など)、四谷怪談(東海道四谷怪談など)、小泉八雲『怪談』所蔵:小豆とぎ・耳無し芳一・雪女、牡丹燈籠(灯篭)、おいてけ堀、八反坊、鍋島藩の化け猫騒動
妖怪 神道、特に八百万の神とかかわりが深い。


この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

着物
下駄
髪飾り古く縄文時代の遺跡から見つかる勾玉などのアクセサリー、日本神話に見られる三種の神器(勾玉・鏡)などから初期の衣類を含めた身体装飾には権威的・呪術的な意味があったと考えられている。

後に律令制を導入すると官製を中心に本格的に身分・階級の違いを表すようになっていく。一時的に大陸文化を遮断した平安時代には国風の平安装束も発達した。 その後、時代によって衣装はめまぐるしく変わりながらも、身分によってある程度分類されていた。明治時代以降、軍隊や官庁、学校などから次第に西洋風の服が採用されるようになり、今日では日常的には洋服を着用し、晴れの日やめでたい日(「ハレとケ」)など和服を着る、といったスタイルが多くなっている。

日本の衣装
現在一般的に知られている服
和服、着物、背広、浴衣、筒袖、留袖、色留袖、狩衣(かりぎぬ)、訪問着、付け下げ、小紋、色無地、紬、ウール着物、羽織、束帯、十二単(じゅうにひとえ)、甚平、法衣
現代の一般的な冠婚葬祭の装束
礼服
文金高島田、角隠し
喪服(白装束)
晴れ着、振袖、羽織、袴
履物
雪駄(せった)、下駄(げた)、草履(ぞうり)、草鞋(わらじ)、かんじき
その他
制服
割烹着、もんぺ、モンスラ
付属品
布巾、手ぬぐい、風呂敷
腹巻、腰巻、帯、帯揚げ、帯締め
足袋(たび)、地下足袋(じかたび)
ふんどし、襦袢(じゅばん)、半衿、羽織ひも
ショール、コート
手甲、脚絆、道中差し
扇子、ハンドバッグ、懐紙
根付、印籠、矢立、煙管(きせる)
蓑、傘、笠、陣笠
甲冑、陣羽織
装飾
口紅、櫛、髪飾り、勾玉、お歯黒
織物、裁縫関連
日本各地の織物の伝統工芸品については、伝統工芸を参照。
裁縫、洋裁、和裁
織物、染物、組み紐
針供養
時代による変遷
貫頭衣
狩衣、烏帽子、直垂、十二単
和服
洋服(西洋化)、軍服、散切り頭
制服(詰襟)、セーラー服
国民服
配給洋服、化学繊維製の衣服などの洋服の普及
スーツなどのきちんとした洋服の流行、装飾品の多様化
竹の子族などの派手さ重視の衣装
小学生男子の定番が、半ズボンからハーフパンツへ
現在では、流行は激しく移り変わり、常に新しいファッションが生まれている。
大衆的ではないもの
ゴスロリ、コスプレ、ボディコン、ギャル・ファッション
参考に...
日本のファッションの移り変わり
コーディネート


日本の料理は「和食」(学術的には「日本料理」)と呼ばれており、欧米の料理とはかなり異なっている。同じ米食文化を共有する東アジアや東南アジア諸国には、日本と類似した料理、食材などが数多く見られる、しかし東アジア諸国での食事の仕方は鍋物や大きなお皿に盛った料理を皆で取り分ける食べ方が多くみられるが、日本では個人専用の食器を使い、個別におかずが出るお膳などで食事をとるなど違う点もある。また、箸文化圏内で箸しか使わないのは日本だけとされる(他地域では汁物や米を食べる時にレンゲやスプーンなどのすくうものを使うのが一般的である)。ほかにも、箸を持っていない方の手で茶碗や皿などの食器を持つ、主食と副菜(ごはんとおかず)を明確に分け交互に食べる(いわゆる三角食べ)など、日本以外では見られないようなことが多い。近年は低脂肪の日本食が評価され、全体で栄養バランスの取れた健康的な食事とも言われる。

現在の日本は世界の歴史的観点から見て明治維新からそう月日が流れておらず、食文化は都道府県の区分けによって分かれているのではなく、明治初頭の廃藩置県前まであった藩ごとの地方によって分かれている。藩は気候風土・政治文化・食文化などの関係によって多種多様の領土面積によって成り立っていた為、藩一つ全体が鹿児島県となった鹿児島藩などは別に、山形県・岩手県など複数の藩が一つにまとまった都府県では地方ごとに食文化が異なる状況が生じている(県交通機関の発達していない時代、国境の多くは山脈等の自然地形によって分かれている為)。

このように、現在の都道府県内部において地域ごとに食文化が異なるのは、内陸・海岸等の収穫物の違いもさる事ながら、食文化・風習そのものが違う藩の合併によっておきている。これらは郷土料理として、地域の特色を生み出す結果となる。

今日の日本人は朝・昼・夜と3回の食事を取るのが一般的である。保存技術の発達により、日本のどこでも新鮮な海産物が手に入る(日本は魚介類の消費が世界一である)。家庭で料理するより、外食・中食で済ませる機会も多くなっている。米食よりパン食、麺類を好む人も多くなっており、世代を問わず伝統的な和食を取る機会も減ってきている。

外国から見ると、日本人が魚介類や卵を生で食べることは奇異に感じられることもある。海草を食べることも、諸外国では少ないようである。また、鍋料理のように、素材のまま出し、食べる人が自ら味付けや調理を行う料理法は、他の国にあまり例がないようである。

和食(日本料理)
日本酒の酒樽
てんぷら定食の写真
寿司のメニューの見本
お茶酌みの風景
お好み焼き製造過程の一部
かまど料理
日本料理#日本料理の分類と一覧を参照

飲み物
お茶
緑茶、麦茶、番茶、煎茶、ほうじ茶、玄米茶
アルコール類
日本酒、どぶろく、甘酒、焼酎、泡盛
ジュース
清涼飲料水
葛湯、昆布茶
食品・食材・材料
庶民的な食品・食材からブランド品まで含む。
肉類

鹿
鯨 江戸時代以前は魚肉に分類。
和牛
魚介類
鮪(まぐろ)、鰹(かつお)、鮭(さけ)、秋刀魚(さんま)、鰯(いわし)、河豚(ふぐ)、鯖(さば)、鯵(あじ)、鮒(ふな)、鰻(うなぎ)
海老(えび)、烏賊(いか)、蛸(たこ)、蟹(かに)、海鼠(なまこ)
ハマグリ、アサリ、シジミ、サザエ、アワビ、スガイ、カキ
海藻
海苔(イワノリ、カワノリ、フノリ)、アオノリ、昆布(コンブ)ワカメ
野菜
小松菜、サラダ菜、ワケギ、大根、白菜、カブ、葱、茄子、胡瓜
穀類・豆類
大豆、アズキ、ササゲ、ウズラマメ、エンドウ
米、麦、粟(アワ)、ヒエ、キビ、コウリャン
芋類
サトイモ、サツマイモ、クワイ、ヤマノイモ、コンニャクイモ、馬鈴薯
茸類
椎茸、松茸、シメジ、マイタケ、エノキタケ、なめこ
果物
ウリ、マクワウリ、カキ、クリ、ギンナン
柑橘類
温州みかん、キンカン、ザボン、ダイダイ、イヨカン、柚子、カボス
加工食品
納豆、豆腐、おから、豆乳、ゆば、油揚げ
漬物、沢庵、福神漬
鰹節、かまぼこ、炒り子、干貝、のしいか、松前昆布、たたみいわし、寒天
ふりかけ、麩
片栗粉、コンニャク
調味料
味噌、醤油、みりん、酒(日本酒など)、出汁(だし)
和菓子
甘納豆、外郎(ういろう)、求肥、練り切り、饅頭、羊羹、落雁、きんつば、飴(あめ)、汁粉

草餅、桜餅、煎餅、柏餅、ぼたもち、大福、あられ、安倍川もち、あんころ餅
団子
吉備団子、みたらし団子
調理方法
かまど、七輪、コンロ、クッキングヒーター、ガスレンジ、電子レンジ、炊飯器
ざる、すり鉢、串
食器、マナー
食器(和食器)

割り箸、菜箸、鉄箸
匙、散蓮華、しゃもじ、おたま
茶碗、湯呑み、急須
丼(どんぶり)、小鉢
徳利、お猪口(おちょこ)、ぐいのみ
マナー
マナー違反
嫌い箸
座りかた
正座、あぐら、横座り
食いあわせ
日本料理の種類
精進料理
本膳料理
会席料理
懐石料理
郷土料理
沖縄料理
アイヌ料理
京料理

2009年01月24日

反乱軍(元ギガノス帝国軍)


シンビジ 検索ゆに 日光街道 熱帯魚 パース サーチ秀月 サンバ しべつ ジギタリ ドロス 章姫 ひまわり 風の森 リミング フラメンコ オライタイ トロイ オスロ バルバ バハマ タイリン 透明人間 アルコ いとの キーワ ランチドポ ハイフ 未来の果実 テイステ 若菜摘 コリーナ マントル ぼうし チャレン いながき マナウス ブイシネマ ネイショ プロ うすき ブリュッセ リコソウ プレメイ ウォーム よりどころ 流星 メリー たくぼ ひない クロス
マイヨ・プラート
声 - 小杉十郎太
元ギガノス帝国軍親衛隊機甲兵団第一師団所属。階級は大尉。
西暦2062年3月6日生、身長180センチ、体重70キロ、血液型A。
メタルアーマー「ファルゲン」のパイロット。
通称「ギガノスの蒼き鷹」と呼ばれるエースパイロット。高潔な軍人である彼は、多くのギガノス軍人の尊敬を集めていた。軍人としては模範と呼べる有能な人物であったが、その反面、肉親の情愛よりも国家の大義を選ぶほど家族を省みない一面もあり、争いを望まない妹のリンダからは失望されていた。
ギルトール元帥に心酔しており、彼を裏切った父ラング・プラートを憎んでいる。D兵器(ドラグナー)追撃でケーン達とは幾度も戦うことになるが、部下の専行や各方面で友軍の協力が得られなかったことなどから失敗を重ねることとなり、遂には追撃の任を解かれ最前線である南部戦線に左遷させられる。このことが一因でマイヨを慕う親衛隊機甲兵団の反乱が発生する。
この親衛隊機甲兵団の反乱騒ぎを裏で主導した疑いをかけられ、月面司令本部へ召還され反乱軍の説得にあたるが、その最中にドルチェノフ中佐によるギルトール元帥殺害の場に居合わせ、ドルチェノフの計略により「ギルトールを殺害した反逆者」という濡れ衣を着せられる。ギルトール元帥の遺志によりマスドライバーを破壊するが、ギガノス軍の追撃を受け行方不明となる。
南太平洋上にある海岸に漂着したマイヨは、偶然にもプラクティーズの3人に発見され、その後は一時生きる意味を見失っていたが、プラクティーズの説得やグン・ジェム隊のミンとの関わりを経て、自らの濡れ衣とギルトール元帥の無念を晴らすために再起を決意。月へと向かいドルチェノフ率いる宇宙機動要塞へ突入し、ドルチェノフを討つ。宇宙機動要塞放棄時には要塞とともに死ぬことを考えたが、ドラグーンに搭乗してやって来たラングの説得により要塞を脱出した。
その義理堅く、理想を貫こうとする実直な姿勢から、主人公達であるケーン達よりも人気が高く、ストーリーの終盤では主役であるケーンを差し置いての活躍を見せている。最終回エンディングクレジットにおいてもラストを締めくくっている。
ゲーム『スーパーロボット大戦シリーズ』では作品によっては仲間になるが主人公のライバルという立場のため、かなり終盤に仲間になる。
ミン
声 - 島津冴子
元ギガノス帝国軍グン・ジェム隊所属。階級は大尉。フルネームは「リー・スー・ミン」
身長約185センチ。
メタルアーマー「スターク・ダイン」のパイロット。
「グン・ジェム四天王」の一人で、ドラグナー遊撃隊との戦いに四天王で唯一生き残った。
グン・ジェム隊壊滅後は、ドラグナー討伐の任を受けたハイデルネッケン少佐に合流し連合軍艦隊を追っていたが、乗艦がマイヨ・プラートに接収されたことがきっかけとなり、彼と行動を共にした。
宇宙機動要塞潜入時には「ギルトールの死はドルチェノフによる暗殺だった」ことを暴いた。
当初は凶暴かつがさつな性格で、グン・ジェム隊に立ち寄ったプラクティーズを囮にした事もある。マイヨに一目惚れしてからは女らしくなり、彼らとチームを組んで出撃するようになる。
ダン・クリューガー
声 - 柏倉つとむ
元ギガノス帝国軍親衛隊「プラクティーズ」所属。階級は少尉。
西暦2067年6月22日生、身長173センチ、体重60キロ、血液型O。
メタルアーマー「ゲルフ」のパイロット。
プラクティーズの中では最もマイヨ・プラートに心酔していた。
宇宙機動要塞潜入時に、マイヨや仲間達を守るためドルチェノフに機体を蜂の巣にされ、壮烈な死を遂げる(『スーパーロボット大戦シリーズ』では最後まで生存する)。
カール・ゲイナー
声 - 島田敏
元ギガノス帝国軍親衛隊「プラクティーズ」所属。階級は少尉。
西暦2067年7月1日生、身長175センチ、体重62キロ、血液型A。
メタルアーマー「ヤクトゲルフ」のパイロット。
ウェルナー・フリッツ
声 - 竹村拓
元ギガノス帝国軍親衛隊「プラクティーズ」所属。階級は少尉。
西暦2067年7月12日生、身長176センチ、体重65キロ、血液型AB。
メタルアーマー「レビゲルフ」のパイロット。

ギガノス帝国軍

指導者
ギルトール
声 - 大木正司
ギガノス帝国軍元帥。元は某国の将校だったが地球の腐敗を憂い、月面の各基地に駐屯していた地球各国の駐留軍を纏め上げて反乱を起こし「統一帝国ギガノス」の実質的指導者となる。
ラング・プラートとは親友であったが、理念の違いから袂を分かつ。その子マイヨに対しては全幅の信頼を寄せていた。
マスドライバーを使用して地球連合軍の要所を攻撃していたが、戦争の理念を優先し、全面攻撃には最後まで首を縦に振らなかった。
気高い人物ではあるが、上層部の腐敗を止められず、これによる若手将校の反乱を許してしまっていた。
ドルチェノフ中佐に暗殺され、地球の行く先を憂いながら息を引き取る。
ドルチェノフ
声 - 飯塚昭三
ギガノス帝国軍総統(以前は中佐)。
以前から急進派として名を馳せていたようで、ギルトール元帥にマスドライバーによる地球全面攻撃を再三にわたり訴えていたが、全て拒否されていた。業を煮やしたドルチェノフはギルトールを暗殺。その罪をマイヨ・プラートに被せ、中佐の階級であるにもかかわらず総統の座を引き継いだ。しかし、マスドライバーはマイヨに破壊されたため、地球全面攻撃は実現できなかった。
総統就任後は戦局の劣勢を打開すべく宇宙機動要塞の建造を推進した。ドラグナーに対しては、アオイ・ワカバを事実上の人質に取ってケーン・ワカバを投降させた。
MAパイロットとしての能力は非常に高く、反乱軍の鎮圧に際しては自ら先頭に立ち圧倒的な実力を見せつけ、宇宙機動要塞内の戦闘においても旧世代のダインに搭乗していたにもかかわらず、新鋭機に乗るクリューガーに対しマイヨが「貴様の腕では無理だ」と交戦を止めようとするなど、エースパイロット級の腕前であることがうかがえる。
最期はギルガザムネを駆りケーンやマイヨと戦うが、ギルガザムネの欠陥により敗退する。この際に脱出装置が作動しなくなり、コクピットに閉じこめられたまま宇宙機動要塞とともに月面へ散った。
クレスタ・ラナ・ギルトール
小説版のオリジナルキャラクター。ギルトールの息子。マイヨ・プラートに教育を受ける美形の天才少年。パイロットとしての能力はマイヨに匹敵する。小説版に登場しないドルチェノフの代わりに登場する。

グン・ジェム隊
グン・ジェム
声 - 加藤治
ギガノス帝国海洋戦域機動軍F軍団グン・ジェム別働隊隊長。階級は大佐。
メタルアーマー「ゲイザム」のパイロット。
グン・ジェム隊は通称「ギガノスの汚物」と呼ばれ、ならず者の集団として敵味方双方に恐れられている。
「グン・ジェム四天王」を配下に置き、中国大陸の奥地にあるギガノス帝国軍軍事秘密工場の護衛の任に就いている。
右目は失明しているため眼帯を付けている。これは地球連合軍ヤム少佐の父親ラオチュンとの決闘により負傷したものである。
残忍で狡猾、金儲けに目がない一方で、パイロットとしての能力はケーンを遙かに凌駕している。ドラグナー遊撃隊との戦闘以前のMA撃墜数は17機以上で、グン・ジェムの通った後には雑草も生えないと言われている。グン・ジェムの圧倒的な力に、ケーンは悪夢にうなされるほどであった。
豪胆な反面、部下思いでもあり、特に四天王のゴルとガナンが戦死した際は、機体の損傷も顧みずゲイザムで出撃しようとした。
試作型のギルガザムネを持ち出して弔い合戦に及ぶが、思考コントロールシステムの暴走により味方であるジン中尉を殺害してしまう。その後、再びギルガザムネでドラグナーに挑むが、機体の欠陥もあり撃破され戦死する。
ゴル
声 - 島香裕
ギガノス帝国軍グン・ジェム隊第1中隊長。階級は大尉。
メタルアーマー「スターク・ゲバイ」のパイロット。
「グン・ジェム四天王」の一人。大男。人質となったリンダに一目惚れする。感情が高ぶると専用のガトリングガンを発砲する癖がある。グン・ジェム隊の中でコメディリリーフであった。
ゴル隊は防衛線の要を担当しており、部隊がドラグナーに襲撃された際には、部下のMAパイロットがゴルの名前を叫んで撃破され、グン・ジェムからその際の不在を強く叱責されていることなどから、パイロットとしての能力は極めて高いようである。
無限軌道砲を駆り、単独でドラグナーに挑んだが、砲の爆発に巻き込まれ死亡する。
ガナン
声 - 笹岡繁蔵、スーパーロボット大戦シリーズでの代役 - 大友龍三郎
「グン・ジェム四天王」の一人でギガノス帝国軍グン・ジェム隊第2中隊長。階級は大尉。
メタルアーマー「スターク・ガンドーラ」のパイロット。
殺人犯が軍服を着ているとまで評される凶暴性を持つ。
痩せ型の大男で、いつも釘を咥えている。
ケーンに動きを見切られ、機体を真っ二つにされて戦死する。
ミン
ギガノス帝国軍グン・ジェム隊第3中隊長。階級は大尉。#反乱軍(元ギガノス帝国軍)を参照
ジン
声 - 島田敏
ギガノス帝国軍グン・ジェム隊第4中隊長。階級は中尉。
メタルアーマー「スターク・ダウツェン」のパイロット。
「グン・ジェム四天王」の一人。美形だがそれに反する凶悪さを持つといわれる。武器にサイを持っている。
思考コントロールシステムの暴走により正気を失ったグン・ジェムを止めようとギルガザムネに近付いたところ一刀両断され戦死する。

2009年01月17日

リーンの翼

リーンの翼(リーンのつばさ)は1983年~1986年に発表された富野由悠季の小説作品、及び2005年~2006年にインターネットテレビによって配信された全6話のアニメシリーズ。

富野がライフワークとする異世界「バイストン・ウェル」を舞台とする一連の作品の一つであり、アニメ『聖戦士ダンバイン』、小説『オーラバトラー戦記』等と世界設定を共有するが、他の作品とは全く関係しないパラレルワールドであるとされている[1]。また、アニメ版は大筋を小説版の約70年後を舞台としており、関連性はあるものの、小説版の結末で描かれた一部のキャラクターの死が最初から無かった世界のその後という設定になっており、こちらもパラレルワールドという事になっている。

「リーンの翼」とは、作中に登場する、伝説の英雄に現れる光の翼のこと。「リーンの翼」を持つ英雄は本作の主人公以前にも存在し、6500年前よりバイストン・ウェルの世が乱れたときに幾度となく現れ、その都度世界を救ったと言われている。作中では足(靴)に「翼」が現れるが、背中に現れた者もあるらしく、その者によって場所は異なるという。伝説上で最も古い「リーンの翼」の英雄はゼノラーという13歳の少年であったという。

小説
『聖戦士ダンバイン』のTV放映と同時期に富野由悠季自身によって雑誌『野性時代』に連載され、角川書店の角川ノベルスより全6巻の単行本が発売された。挿絵は湖川友謙。後にスニーカー文庫で復刊されたが、現在は共に絶版。
ビーシ イズミル サイド トレハ シェブロ マイラー ホウオウ マドレーヌ マルチビ チャー ピナクル マックス エデン 恋のラジオ 桔梗ナビ 桜桃 セリ対策 テナント メンタル スペー パワー あぴお スタート ジョイ ナビゲ レバー支援 トルマン アポク オフライ フォートラン まっち レンゲ ブラウザー ビネガ ナイト テオプ ふぁんでる ヨットパ まぜり タイザー チケット サラシア 秋の夕暮れ ジンギ スタンス ロールフ えせん バック オイディ コスト


『ダンバイン』と同じくバイストン・ウェルを舞台とし、フェラリオによって召喚された地上人=聖戦士の活躍を描いてはいるが、時代は遡り、オーラバトラーの誕生以前の物語である。

ジュブナイル小説と呼ぶにはあまりにハードな展開、性と残酷の描写、そして富野独特の文体に好みが分かれるところだが、アニメーション作品では見ることのできない富野の「凄まじい部分」をこの上なく堪能できる極上の作品として、長らく入手困難ながら富野ファンの間では必読の書として支持されてきた作品であった。 もちろん(一部に繋がらない要素はあるが)アニメ版の前史として楽しむ事も可能である。2007年、富野自身より加筆再編による復刻版刊行の準備が進んでいる。 小説の特徴として旧日本軍に対する著者の考え方に多くページがさかれている。そしてその考え方を主人公・迫水が受け継いでいる。

また、『ダンバイン』のTVシリーズ終了後に角川書店から刊行されたムック本『バイストン・ウェル物語』では、『野性時代』に連載中だった本作に関しても多くのページが割かれ取り扱われている。富野による『ダンバイン』と本作に共通する世界観解説『インナースペースとしてのバイストン・ウェル』をはじめとして、連載開始から1984年1月号掲載分までのあらすじ、用語解説、そして『聖戦士迫水真次郎の物語』と題し湖川友謙によって小説版中盤までの展開をビジュアル化したイラストストーリー、主要キャラのスケッチなどが収められており、小説版の副読書とも言える内容となっている。

ストーリー
太平洋戦争末期の沖縄上空で特攻兵器・桜花で米軍のB-29へ攻撃を仕掛けた日本軍兵士迫水真二郎(さこみず しんじろう)は敵機に撃墜され、空中に投げ出された瞬間に異世界バイストン・ウェルへと召喚される。

その地で豪傑アマルガン・ルドルと盟友となった迫水は、身に着けていた直心陰流の剣術と、伝説の勇者の証である「リーンの翼」の奇跡を顕現したことにより「聖戦士」と呼ばれるようになり、戦乱の続くバイストン・ウェルを平定する英雄となっていくのだが…。